塾倒産 経営の考え方

【塾倒産】もういない

電話がかかってきたのは、

「兄が体調が悪いので病院行く」

というものだった。

そして、当日。
診察室の前に母と2人で呼び出されるのを待っていた。母の話では

「医師が兄について重要な話がある」

ということを聞いただけだった。病院についたものの時間は刻々と過ぎていった。

「堀さん」

看護師から呼ばれた。2人は診察室に入った。医師の姿があった。

診察に通された私と母は兄の担当医の前に座った。医師は私と母に兄の病気について話をした。

 いろいろ説明があった。でも残っていない。残っていたのは次の言葉だった。

「このままでいくとあと半年の命です」

そのときだけ時が止まった。母と私は絶句した。

医師の話が終わって2人は病室を出た。母は泣いていた。ただ、私の時間はまだ止まったままだった。

 2人は無言で実家に戻った。家内が心配して出てきた。家内に詳細を伝えた。

「兄の余命が半年であること」
「すぐに入院しないといけないこと」

など。 実はこの後いろいろな決断を迫られた。特に

「人の寿命を自分で決める」

という決断をしてたときが一番きつかった。

実は本当はこれからが大変だったのだが、別の機会に。

この後当然のことながら、

「塾の売上」

も下がっていった。兄が生きていたときは、毎日病院に通った。

FAX指導をして、終わってすぐに1時間かけて病院に。兄と話をして次の指導に。

FAX指導が一杯で病院に行けないとときは、夜12時まで指導してそのあと病院に。

事前に許可を得て野外入り口から病室へ。深夜の1時。少し顔だけ見て、帰ったた。そんな生活を1年以上続けた。

そして、兄はいなくなった。

「兄が存命中」

はまだ何とかやってこれたが、いなくなってからは

「気力が持たない」

ようになってきた。
周りの人達がドンドン亡くなっていった。

兄が亡くなってからは

「生きる目的さえ見失っていた」

もちろん、

「指導」

は通常通り行っていた。しかし、今までのように

「次へ次へ」

という気力が湧いてこなかった。兄の夢をみた。
 
 特に私の邪魔をして私が怒る。目が覚める。

「あっ、もういないのか・・」

と落ち込む。

 今でこそわかるが、多分私は兄のことを理解しようとしていなかった。

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