以前の話。元々予備校で講師をしていたた先生が独立して塾を開くことに。
その先生は若くてやる気はありそう。いろいろ話を聞くことに。
予備校では授業の評判が良く
「これなら自分で塾をやった方がよい」
と思って独立して塾を。ところが、塾を開いたものの生徒は集まらない。さらに、入った生徒も辞めていくとのこと。
「何が悪いんでしょうか?」
と相談が。いろいろ集客の話をして、集め方とかの話をして次の授業の内容に。
授業の話をして内容を聞いたところ一瞬で生徒が辞める理由がわかってしまった。
話を聞いて
「これでは生徒がつらいだろうな」
と。そして、その先生に基本的なアドバイスを。
「××先生は見るところが違いますよ」
と。さらに、続けざまに
「【教材】を見ているでしょう。塾で指導をするときは【教材】を見ていてはダメなんですよ」
と。当然ですが、××先生の頭の中は
「???」
と私の言っている意味がわからないみたい。そして、次の言葉を話ました。
「予備校のときは【教材】に目を向けて、素晴らしい説明の仕方が大切だったかも知れません」
と。
「でもね。個人で塾をやるようになったら、【教材】を見るのではなく、【子ども】を見ないといけないんですよ」
と。実は予備校講師の陥りやすい罠なのです。
私は以前、別宮先生が主催する「T1グランプリ」に参加したことがあります。
「T1グランプリ」
というのは塾や学校の先生が限られた時間の中で、自分の授業を競うもの。
そのときに見た「予備校講師」の説明は、塾の先生に比べてグンを抜いてうまかった
「すごい」
と思っていました。
「さすが」
と。授業だけで勝負している人は違うと。
でも、それだけでは塾はできない。というのは予備校は
「1対多数で一方的」
ですが、通常、塾の場合は
「1対少数で双方向」
だからです。塾をオープンしたときはとくに
「相手を良くみないとダメ」
なのです。
・どんなに上手な説明も
・どんなに素晴らしい内容も
・どんなに価値ある公式も
相手に届かなかったら意味がありません。
さきほど、若い予備校講師と話をして、一瞬で
「これはムリだな」
と思ったのは説明が
「一方的だったから」
自分の授業の説明を一方的に話続けて、ずっと私のことを無視して自分の話をしていたから。
「これを生徒がやられるときついだろうな・・」と。
通常は人と話をするときは、相手との会話のキャッチボールが必要です。
一方的な説明ではなく、相手の反応に合わせて説明を変えていきます。基本的な説明はありますが、自分が説明したいことを置いておいて、相手に合わしていく。
ですが、予備校で教える場合は、1対多数はできめるだけ多くの人にわかってもらうために説明をわかりやすくします。
教材を研究して、工夫していきます。それが重要なのです。
それを続けていくと、
「先生すごい」
となります。それで勘違いするのが
「自分にスポットライトを当てようとする」
のです。
「先生の教え方はすごい」
「授業はすごくわかりやすい」
と。もちろん、予備校講師はそれを求められますのでそれでいいです。ですが、個人塾にくる生徒は
「勉強はつまんない」
「勉強はやりたくない」
「早く帰りたい」
と思っている生徒が多いので。だから、大切なことは
「生徒にスポットライトを当てる必要がある」
のです。授業とはまったく関係ない雑談から始まって相手のこと聞きます。
「部活はどう?」
「部活やってファンはできた?」
と成績とは関係のないどうでもいいようなことを話していきます。
というのは人間は
「自分に興味を持ってくれる人に好意を持ちやすい」
からです。そういう話をしながら、相手の表情やしぐさを見ながら授業を進めていく。
ここでの中心はあくまで「子ども」です。実はそこの違いがあるのです。
「でも授業は大切だ」
と思うかも知れません。ですが、最近伸びてきている
「自立型塾」「教えない塾」
というのかあるのは、決して
「放任している」
のではなく、子どもを中心にして、子どもサポートする側に回っているからなのです。
売れない塾の先生
→中心は自分。そして、自分のする授業
売れている塾の先生
→中心は生徒。そして、生徒を中心にした授業
なのです。以前は私も授業見学に行ったことがありました。
最初は
「うまい説明」「わかり易い説明」
と授業を観察していました。ですが、あるときはからは
「授業を見る生徒の表情」
「授業を見る生徒の反応」
を見るようにしたです。そうすると、塾の運営そのものが違ってきます。
中心は「先生」ではなく「生徒」です。そうすると生徒集めの打開策が生まれてくるかもしれません。
あの先生の塾、うまくいっているのかな・・・