勉強していると勉強している子が社会に出て「役に立たない子」と「役に立つ子」がいます。その違いについてお話をしたいと思います。
目次
社会に出て役に立つ?
親御さんは子どもに対して「勉強しなさい」というものの、実際に社会人として経験しているお父さん、お母さんは
「勉強だけでもダメよね」
というのもよくわかっていると思います。実際に難関大学と言われる「東京大学」や「京都大学」を出ても、ブライドだけは高く実際に社会に出ても使えない子もいます。
そうすると
「勉強だけではダメよね」
と思ってしまいます。一方、
「やっぱり勉強はしといた方がいい」
という風に思うのも当然だと思います。私も経験的にも仕事をしているとやはり学力の高い学校を出て仕事をしていても人の方が、できる人が多いからです。
もちろん、学力が高くなくても、できる人もいますが、平均的にいうとそう感じます。
一体何が違うのか?
「勉強もできて社会でも役立つ人」と「勉強はできても社会では役に立たない」
という人の違いは何でしょうか?それは体験です、勉強がすべて体験と結びついていないからです。
体験とからめていくと勉強は非常に役に立ちます。実は勉強しないと仕事もできなくなります。
勉強と体験の関係というのは「勉強→体験」という形です。その逆もあります。「体験→勉強」です。
別の言い方をすると「勉強→実践」。あるいは「実践→勉強」です。経験だけでも世の中というのは渡っていけます。
経験豊富な人はうまく仕事をこなすこともできます。が、それ以上さらに高みを望もうとすると勉強する必要があります。
イメージするとスパイラルな感じです。勉強することによって、同じことをしていてもレベルが一個上がって違うレベルの仕事ができるわけです。
だから、勉強が必要なのですが、それには体験あるいは実践がないと効果がないのです。だから、仕事では
「勉強:実践=3:7」
と言われるのはそこなのです。
体験がない場合はどうなるのか?
勉強で「恋」という漢字は習ったとします。ですが、恋をしたことがない人は恋という漢字は記号にしか過ぎません。
本を読んでも、感じなかったらこ「恋」という漢字はただの記号にしか過ぎないのです。ですが、恋愛経験をしたことがあると違います。
「ちょっと好きな人のことを教室の中でも目で追ってしまう」
「相手のことを思うと苦しくなってしまう」
「好きな人の前に立って話せなくなる」
そのときに「恋」という単語は本当の意味で理解できます。
実際にインターネットの授業でもこれを大切にしています。国語の本文の中で
「戦争中はみんな【もんぺ】を穿いていた」
という話が出てきたとします。私は実際に見たこともありますし、触ったこともあります。
ですが、子どもはイメージできません。そのときは、インターネットで検索して見せます。
本当は実物を見せるといいのですが、代わりに写真を見せると子ども「へっー」と納得するのです。できるだけ、体験に近い形にもっていくのです。
勉強だけしかしない子にコミュ症が多い?
勉強だけしていると厄介なことは「コミュニケーション障害」となりやすいのです。いわゆる「コミュ症」ですね。
勉強だけしているとコミュニケーションが取れない子もいます。それは勉強したことが実践と結びついていないからです。だからこそ、体験、実践が必要なのです。
海鮮丼の話
昨日の海鮮丼の話にどんな意味があるのかと言うと実は体験させるということはすべて社会に生きるために必要なことだからです。
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海鮮丼に醤油を入れすぎて「辛い」という経験をししました。するとと学校で「からい」という漢字を習うと醤油を思い出します。
そういえば入れすぎて「からかったな」ということが実感して湧くわけです。
あるいは、わさびを入れて鼻がツーンとなったとします。そして、むせ込んでしまいました。「からい」という意味がさらに加わります。
そういう経験が必要なのです。それが醤油の辛いも知らない。わさびのからさも知らない、ただ漢字で「辛い」習っても実感が伴わないのです。
だから体験させているわけです。参考にしてください。