経営の考え方

【塾倒産】復活。アルバイトが終わった

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「先生」と言っても塾の先生は目の前に生徒がいないと何を言っても

「独り言」

になってしまいます。どんな立派な教育論を語ってもそこに生徒がいなければ

「おっさんの独り言」
「おばさんの独り言」

になってしまいますから、塾はまずは、

「生徒集め」

が重要になってきます。勘違いして欲しくないのは

「生徒数が少ない」=「教えるがダメ」

というわけではないのです。世の中には

「よい先生」

はたくさんいますが、

「それを知っている人」

が少ないのです。

さて、

「塾の廃業」

を決めたとき実は私にはすでに

「別の塾」

があったのです。塾を創業したきときは収入がなかったので

「電子レンジの組み立て」

をやっていました。塾のすぐ近くの工場で大手の中で働く派遣のアルバイトだったので

「アルバイト終了」→「塾」

という流れで仕事をしていました。電子レンジの組み立てでの仕事は

「組み立てられた電子レンジの運搬」

でずっと1日中歩いていました。休憩時間を除いて、24個の部品を「ゴロゴロ」と引っ張っていくのです。

おかげで体型はスリムにはなりましたが、疲れはどっと出ました。

普通の会社員なら

「仕事」→「帰宅」

になって、帰宅後では

「テレビを見ながらビールで一杯」

なんでしょうが、私の場合は

「仕事」→「本業」

と夜が本番なので力を抜くことはできません。もちろん

「昼間アルバイトをしているから」

というのは生徒には一切関係ありません。ですから

「昼間も夜も必死に働く」

しかなかったのです。そして、

毎日13時間~15時間

の仕事をこなしていったのです。ですが、これほど都合の良いことは続きませんでした。

というのは大手の会社の業績が悪化して、

「外注を辞めて自社で組み立てをする」

という方針に変わったのです。その派遣された大手会社での仕事が一気になくなってしまったのでした。

幸いにも私は直接雇われていなかったので、近くの外注先会社から別の職場の変更で対応してもらって働く場所が変わりました。

「塾から自動車で40分かかる仕事」

に回されることになったのです。今までは

「アルバイト先」→「塾」

が歩いて5分だったのが、今度は

「アルバイト先」→「塾」

まで自動車で40分になってしまったのです。

そうすると、収入は今までなのに拘束される時間だけが増えていきます。

 それまでも一杯一杯だったのがさらに時間が無くなっていくのです。

 当然ですが、

「生徒を集める時間」

もなくなってしまうという悪循環です。それに

「ずっと休みなし。1日15時間仕事」

を続けるわけにもいきません。確かに、当時はまだ30代でしたのでこの状態を続けられましたが、

「子どもが大きくなったらどうするのか?」
「生徒が増えなかったらどうするのか?」

と生徒がいるときから不安で仕方がなかったのでした。

 また当時の私の塾は不安定な状態にあったのです。

 というのは、

「塾の生徒集めは年2回」

しかないのでその時期をはすずと1年間は厳しい状態に置かれるのです。

私の塾では

「4月の生徒集め失敗」
→10万円で1人

でしたので、7月の夏期講習でがんばったものの

「赤字にならない」

くらいでしたかありませんでした。もちろん、私も何も手を加えていなかったわけではないのですが

「何をどうやっていいのかわからなかった」

のです。そして、私が目をつけたのが

「インターネット」

でした。私は最初から

「インターネットで学習塾を」

と考えていたのではなく、

「何とか昼間にでも仕事ができないのか?」

と考えていたのです。塾というのは

「夜の仕事」

なので昼間は比較的時間があります。当然他の塾でも

「昼間に英会話教室を開く」
「昼間にパソコン教室を開く」

といった

「昼間は他の生徒」
「夜は学生」

というのも多かったのです。当時、お世話になろうかと検討していた税理士の先生も

「昼間の部屋の空き時間を利用してパソコン教室をされてはどうですか?」

と勧められていたのです。ですが、それにも投資が必要です。

 当時使っていたパソコンは教材の専用機だったので他には使えません。

 そして、新しくパソコンを購入しないといけなかったのです。

また、私はこんな風に考えていたのです。

「夜の生徒も満足に集められないのに客層を変えたからと言って集められるのか?」

と。そして、

「何とか今の生活から抜け出せないのか?」

とずっと考えていたのです。

そこで

「インターネットでの収入」

が始まったのです。そして、ここから

「必勝パターン」

ができあがっていったのです。続く。

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