経営の考え方

【塾倒産】ある重大な決意

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この時期は生徒が増えて希望の光が見えて来ただけに心は暗澹たる思いで一杯でした。

さらに真面目な生徒が1人、また1人と辞めていきました。しかも学年が

「中2」

そして、騒がしかったグループは

「5人」

に増えていました。そして、今度は騒いで仲間から2人が

「辞めます」

と。少人数だったときはみんなで和気藹々とそれなりに結果も出ていたのに騒がしい2人が入ってきてからは

生徒が増える→騒がしくなる→真面目な子が退塾→騒がしい子が退塾

と最悪の流れになってしまったのです。しかも残っている生徒の

「2/3が中3」

です。

 このままでは塾を廃業しないといけません。当時は派遣のアルバイトが終了してしまい、塾の近所にある野菜関係の会社で

「経理の仕事」

をしていました。

「時給は900円」

時間は今まで通り

7時~15時30分

朝は6時半には家を出て仕事にアルバイトに向かってその後すぐに塾に。

夜も塾は11時まで。この時期は休日は少しでもお金を稼ぐために

「時給800円」

で広告に載っていた

「イチゴ狩り」

のアルバイトもしていました。そういった生活が半年続きました。もちろん、私も指をくわえて何もしなかったわけではありません。

当時は

「できることは全部やる」

ということでいろいろなことをやっていました。ただ、お金も底をつき、仕事をかけもちし

「金なし」「時間なし」

の状態ではやれることは限られています。ですが、

「お金がない分」「時間がない分」

頭を使って

「考えて、考えて、考えて」

やることをやっていました。

「今の自分でできること」

をやっていました。

例えば、今は「個人情報保護」の関係で、できませんが生徒から小学校のときの住所録を借りてそこに

「塾生募集」

のDMを送ったりしました。そして、その後フォローの電話。

それもやってみました。それでも生徒は1人が入塾してくれました。毎日毎日が

「仕事」「仕事」「仕事」
「仕事」「仕事」「仕事」

と。ほとんどが

「生きていくための仕事」

でした。

塾が終わったら今度は11時に帰ってその後DMの文章を考えて送る。

 または、空いた日には

「DMをポストに投函」

もしていました。

家族も一緒に手伝ってくれていました。家内と当時小2だった息子は一緒にDMの封書詰め。

それでも、結果は出ませんでした。そして私はある決断をすることにしたのです。

 その決断とは・・・。それは

「この1年でやれるだけのことはやってみる。そしてダメなら塾を廃業する」

と。当時は、「仕事」「仕事」と言いながらもそれでも、お酒を飲んだり、帰りに漫画を立ち読みしていたりしていました。

そのすべての時間を削って「生徒集め」に時間に割くことにしたのです。そして、・・

次の日朝5時。

辺りは暗闇の中。静まり返っている。塾の近所に車を止める。ドアの閉まる音だけが響く。

吐く息も白い。まずは近所の住宅街に向かって歩き出した。

私ができることは、朝のアルバイトまでのこの時間しか「チラシを入れる」ことはできなかった。

お金のなかった私は以前作ってあったチラシを片手に郵便受けにチラシを入れていく。

急いで歩きながら。1件。そしてまた1件。

「カタン」
「カタン」
「カタン」

と夜明け前の寒空に郵便受けのふたが閉まる音だけが響きわたる。

「どうか生徒が集まりますように」

そう祈りながらポストにチラシを投函。そして、その隣の家のポストにも・・・。黙々と投函していく。

チラシが無くなれば車に戻って、チラシをかかえてまた投函。

朝が明けてきて、アルバイトに行く時間になると辞める。そして、アルバイト先へ。

その夜帰宅。塾が終わってから帰宅すると今まで投函用のチラシを家内と息子が折っていた。家内の言葉は

「どうだった?」

と。私は首を振る

「ううん」

問い合わせはその日はなかった。家内の側ではチラシ折りの手伝いをしてくれていた息子が疲れたように寝ていた。

そして、次の日も次の日も、朝5時からチラシを入れるために塾へそして、1件1件と投函・・。

帰宅すると家内はいつものように私に聞く。

「どうだった?」

と。私はただただ、いつものように

「・・・」

と首を振る。次の日も。そしてまた次の日も。

「どうだった」
「・・・・」

とそんなことが2日。3日と何日も続いた。そして。とうとう残っていたチラシは底をついた。チラシをまき終ったあとの問い合わせは

「ゼロ」

だった。

そして、やれることはすべて無くなった。その年にはほとんどの生徒が卒業してしまうので時間はない。

 そして、私のオフラインの塾が終わった瞬間だった。

「廃業」

そう思ったとき

「新しいオンライン学習塾」

へのきっかけが見つかったのです。

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