指導

指導は「セクハラ」「モラハラ」「パワハラ」

指導しているとやっかいなのが

「自分はやった」

ということではなく

「相手がどう感じたか」

というところ。日大の監督の話ではないですが

「伝える側と伝えられる側との乖離」

というのは当然おきます。もちろん、今回の日大の話は別ですが。

たとえば、イケメンで人気のある若い先生が

「テストがんばれよ」(ポンと肩を叩く)

と。すると

女生徒Aさん
「キャー。今日先生に肩に触られた。うれしい。テストがんばろう」

友人Bさん
「えっ。うそうそ。いいなあ。あの先生カッコイイ。私も叩いて」

となります。全然問題はありません。ところが同じことを不人気中年おっさん講師が

「テストがんばれよ」(ポンと肩を叩く)

と。すると

女性Aさん
「イヤー。気持ち悪い。もうヤダヤダ。聞いて。あの先生にタッチされた」

友人Bさん
「えっ、ヤダ。それってセクハラ。セクハラ」

と。叩いた本人は

「同じことしたのに何で?」

となってしまいます。

「ハラスメント」

は自分がどうやったかよりも

「相手がどう感じたのか」

です。これ実は指導でよくあることなことで

「相手は自分と違った感じ方をする」

のです。たとえば、指導している側はこんな感じで指導します。

褒める5回 叱る5回

しかし、そうすると指導を受ける方は

褒める1回 叱る8回

と感じます。実際の数字ではなく感じです。

「私はきちっとほめています」
「私は認めてそれを伝えています」

といっても捉え方は相手によって大きく変わるのです。
相手は

「先生はほめてくれない」
「先生はちっとも認めてくれない」

と感じるのです。それもこんな風に比較的に悪い方に。

「自分は言っているつもり」
「自分はほめているつもり」

と言っても届いていないことが多いのです。だから

「認めるときには少し多めに認める」

のですね。指導の難しさは相手の受け取り方の違いですね。

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