「自分が死ぬときにはこの子を連れて逝きたい気持ちです」
これはある障害を持つお子さんのお母さんの言葉です。それだけ子どものことが心配なんですね。
今の私の塾は今までと違って「塾」というよりは「子育ての一部」「子育てのお手伝い」と形になっています。
昨年は慶応大学に合格した生徒もいましたし、今年は東大や神戸大学を狙う子もいます。また、学年でビリをとる子もいます。偏差値でいうと80以上の開きがあります。
ただ、共通しているのが「子どもの幸せ」。そして「子どもの自立」です。
自分自身も塾を経営してそして、2人の子どもをしてふと思うことがありました。それは「今やっていることが本当に役に立つのか?」ということです。
子育てをしているとわかりますが、まずは自分の子どもにとって何を望むのかというと、
「健康でいてほしい。そして、幸せであってほしい」
ということだけです。勉強のことも成績の子ども明日死ぬかもしれない病にかかったら意味がありません。健康であればいい。生きててくれたらそれでいいと。
次に願うのが幸せです。それがかなうのには、「自分で自立していくこと」です。
実際に自分が子どもを持ってわかりますが、子どもについてはいくつになっても心配です。
特に心配なことは「自分が年取ったとき、あるいは自分自身が亡くなったときに自分の子がちゃんとやっていけているのか?」です。
私が今指導している生徒が私と同じ年になったころには、私は死んでこの世にいません。
そのときにはその子が「自立していてくれたら」と思うのが本当です。
ではどうすれば自立できるのか。厳しい子育てか?それともゆるい子育てか?
指導していてても、子育てをしていても、「厳しい子育てがいいのか?」とか「ゆるい子育てがいいのか?」とかいわれます。
どっちも正しいように思えます。どちらも間違っているようにも思えます。私自身が考えるのは正直にいうとどちらも必要です。
厳しく育てても罪を犯す人もいますし、ゆるく育てても罪を犯す人もいます。だからどちらも必要なのです。
それはただ 相手の成長によって使いわけていくだけなのです。
子育て、指導で気をつけないといけないのは次の2つです。
私が以前勤めていたときその会社の専務にこんなこといわれたことがあります。
「理想の上司は温かくて厳しい上司だ」と。ここでのポイントは「厳しくて温かい上司ではない」ことです。
会社ですから何でもかんでも「なあなあ」でやっていくわけにはいきません。とき厳しいことが必要なときがあります。それでは何が温かくて厳しいなのか?
人を育てたり組織を円滑に運営したりしていくには2つの要素が必要といわれています。それは1つは母性であり、1つは父性です。
母性とは相手を受け入れることです。相手を認めたり、褒めたり、やさしく受け入れてあげてることです。
相手にとって温かく感じることです。塾に行ったら相手のことを気遣い、接していくことです。いる人にとっては「居心地のよい場所」です。
その反対が父性です。父性とはルールや規律です。物事で結果を出したり、目標を達成したりするにはやるべきことはやらないといけません。
自分を鍛えて「居心地の悪い場所」に行かないと成長することはありません。また、規律やルールを守らないと世の中ではやっていけません、
ことの2つの要素はどちらも欠けてはいけないのです。父性だけを重視して厳しいだけだと従業員がやめたり、生徒がやめたりします。
といって母性だけで運営をしてていくと居心地はいいですが結果は残せません。
ではどうすればいいのか?それは「最初は母性から入りも次に父性を入れていく」のです。
先ほどの「温かくて厳しい上司」というのは最初に温かい(母性)が来て、次に厳しい(父性)というのはそういう意味なのです。それはこの順番が大切なのです。
人のいうことに反発する子や人がいいます。同じことをいっても反発します。いうことを聞かないと「あいつが悪い」とか「あの子が悪い」と思うかもしれません。
その場合はちょっと気をつけてほしいのがすべて「自分が父性から入っていないか?」です。
まずはこちらの要求を前面に押し出して、後で相手のいうこと聞くそうすると反発してうまくいきません。
逆に相手をまずは理解し、受け入れるそしてこちらの要求を通していくというのが普通うまくやる方法なのです。
やっていることは同じであっても結果は違ってくるのです。目的は同じでもやり方、順番が違うと結果が違ってくるのです。